春学期
の講義がすべて終了した。
僕の専門である都市社会学の講義をたくさん受けたかと言えばそうではなく、
宗教社会学の講義をできるだけ受けたかというと、そいつもそうでもない。
ちなみに今学期から「前期・後期」改め「春学期・秋学期」になったらしい。
僕の母が働く大学ではとっくの前からその呼称だった。
秋入学導入には賛成だ、入学のチャンスがそれだけで広がる。春秋混合制度になれば浪人もずっとしやすくなる。
今はテストに備えた勉強をしている。
夕食で赤ワインを一杯飲んで、少し気持ちよくなってそれから机に向かっている。
ビールがゲルマン人の飲み物なら、ワインはラテン人の飲み物。
フランスもとても有名じゃないか!って?
フランスに渡ったのはカエサルのガリア遠征の時だ。
パリの工事現場で働く男たちが昼休みにランチボックスを広げつつ、ひとビンのワインを回し飲みする。
そんな光景はあたりまえだし、特に問題にもされない。
ワインの持つ歴史的・文化的意味がまったく異なるからだ。
文化的な背景が日本とあまりにも違いすぎる。
封建制度において報酬として「上と下」を結びつけていたのは、日本の場合はコメだった。
西ヨーロッパではワインだ。メディチ家のワイン・セラーはそりゃもう見事なものらしい。
いつか行ってみたいものだ、フィレンツェ。
僕の学部生生活もサッカーの試合に置き換えれば、後半10分手前。
もう一度ヨーロッパ旅行したい。次は一人で。
一昨年、ドイツを旅行したが、一緒に旅行したF君はあまりにも言葉ができすぎた。
ベルリンの携帯電話店で、はじめは観光客のためにと英語で話していた店員が、
最後はドイツ語で彼に説明していた。現地の人との会話をすべて彼にまかせてしまうのも無理はない。
今夏から彼はベートーベンのまちに留学する。
高校1年生の教室でスタートラインは同じだったはずなのに、こうも差がひらいたのは何故だろうか。
ぼくは院試のためにドイツ語をふたたび鍛えている。
後半30分までにボンまでの交通費を稼いで、会いに行きたい。
ボンからなら、同時にデュッセルドルフの友人たちにも会いにいける。好立地だ。
よくわからないけど、無駄な知識を頭に浸み込ませ続けた半期だった。
ゼミで勉強している文化政策についても、
いわゆるアートというものは、西ヨーロッパ土着の文化であり、それらを理念なしに東アジアの都市にそのまま輸入しても意味がないように思えてきた。
文化的背景があまりにも違いすぎるのだ。
われわれが現代アートに対して感じる「理解できない」感覚はここからきているはずだ。
それでも洋の東西を問わず、外国のものを輸入しては独自の解釈をし自分たちの文化に吸収してきた歴史を持つ日本文化、分析する価値はある
僕は上記の理由からも、文化のもたらす地域再生能力とその持続可能性という、いかにも社会学な問いをたてる。
ゼミはともかく、あいかわらずテストに対するモチベーションは無に等しい。
今日もモーツァルトの「魔笛」の台本を読んでたら一日が終わった。
2つしていたアルバイトのうちのひとつはバックれた。
プロレタリアートを馬鹿にした当然の報いである。
それでも先月はipadひとつ買えるくらいは稼いだ。
後半10分台は延々とパス回しをしていたみたいだ。
ゴールに近寄りもせず、逆に失点することもない、そんな気分だ。
悪い気分ではない。実用!効率!の社会に唾を吐きたい