社会学が扱う範囲
人間は社会に拘束されて生きる。
僕の祖父の出身地は北海道北西部の羽幌町という町で、かつては苫前炭田の炭鉱の町だった。しかし、1960年代に起きた石炭から石油へのエネルギー革命は、彼の出身地に大打撃を与えた。たぶんそんな要因もあったのだろう、祖父は町を出て行き、東京の大学に進学した。自民党の支部局長だった曽祖父は経済的に余裕があるほうだったのだと思う。
彼らを移住に駆り立てた理由の多くは貧困である。政治的要因としては、松方正義の緊縮財政が地方農民の貧富の差を広げたことが挙げられ、新天地を目指す農民たちの背中を押したのだろう。
受け入れる側の北海道開拓庁は開墾する新住民に便宜を図った。明治維新後、居場所を失った旧士族も同じく移住した。
イギリスから新大陸アメリカに移住したモルモン教の人々と同じような特徴も備えている。
僕の祖先はニシン漁のため、春先だけ北海道に滞在していたのが定住したらしい。亡くなった祖父の形見に僕が受け継いだ『羽幌町史』には「加賀衆」という集団がある時を境に町史に登場する。
社会の変動が彼らの人生を変えた。
〇
自分の未来のはなし。
子供は2人以上欲しい。
妻には仕事を続けて欲しい(同様に僕も家庭に留まりはしない)
僕が研究者を目指すならば、家事との両立も不可能ではないだろう。
意欲ある父親の家事参加を阻んでいるのは、今も昔も一般企業が課す長時間の残業である。
我々には子供を産み、育てる権利があるのだから、幼子のいる父親・母親が残業によって、我が子の寝顔しか見られないなんて状況に置かれることは、断固として許されない。
若者の貧困や女性の社会進出の困難さによって、僕の人生設計が狂わされてしまうのは耐え難い。抗い戦うのが目指すべき教養人の使命だ。
水が美味しくて、冬は薪ストーブが使える場所に別荘を建てよう。
住む場所は上野か日暮里辺りの山手線沿いの凡庸なマンションで良い。
金がかかるだろうが、二人で働けば不可能ではない。
ゼネコンで働く父は、夏のボーナスの額でオリンピック景気による建設バブルの存在を確信する。
一方で、建設業界新聞には建設費が高騰し過ぎてあまり盛り上がっていないとも書かれていた。 2020年以降のマンション事情も、僕の人生を左右する。
アンソニー・ギデンズは「再帰性」という概念を使って、中世のように、個人の人生の選択が、本人の希望関係無しに、宗教や家族・地域の伝統によってある程度決定される社会を説明した。
しかし、このように、未だに社会は、明確な拘束力を持ってして、われわれの人生を規定する。
この目に見えない力を「社会的事実」と呼び、社会的事実を研究対象にするのが社会学という学問であるとデュルケムが言った。
〇
社会学のベストセラー
1位は『鬼ババアが仏の顔に変わった瞬間』--田澤優 嫁姑戦争の本だ。低俗すぎる。
3位は、情報化社会についてのビジネス本
4位は、自己啓発本
5位は『韓国人による恥韓論』--
自称愛国者諸兄よ、こんな本がバカスカ売れる日本を恥ずかしく思え。立ち上がれ!教養と良識ある日本人!
6.7位は就活の自己啓発本
8位はビジネス本
それどころか、19世紀以来、近代化を批判的に検証しつつ、複雑になりつつある社会と向き合ってきた、れっきとした学問に喧嘩を売るような本ばかり紹介してくる。
(自己啓発本とビジネス本ほど嫌いな書籍はない)
〇
書店に行き、社会学の書棚を見ると、その書店がどれほどアカデミズムに精通しているのかがわかる。
新宿の紀伊国屋はさすがだ。池袋のリブロ本店もさすがである。そして充実している。
そんなこんなで、デュルケムが提唱した「社会学が扱う範囲」について、自分の人生の願望に則して、怒りに任せてエントリーする。