インド日記
以下はインドでホメオパシーの勉強をしている日本人女性のブログのリンクです。
[http://bit.ly/1BFC7yB:title]
女性だけではなくて、これからインドに渡航する全ての人が読むべき内容です。
僕はインドには行ったことがありませんが、旅行した友人諸君、みんなそれなりに危ないor嫌な経験をして帰ってくる場所であるというイメージがあります。下痢とかぼったくりを含めて。かなり前、KO義塾の男子学生が行方不明になったのもインドです。彼はまだ帰ってきてません。
リンクは今月、日本人の女子大生が現地の自称ガイドに連れ去られ、集団で暴行されたというニュースをうけてのエントリーでした。自分の身は自分で守るしかありません。特に女性はそうです。
旅慣れている人なら、自分から話しかけてくる現地人、しかも日本語を話してくる人には、普通は目も合わせません。基本中の基本の大原則です。ガイドとして同行してもらうなんて論外です。
こうした最低限の身を守るスキルを持った人が行かないと危ない場所です。しかし、インドは何かを持っているのでしょう。旅慣れていてもいなくても、多くの若者が惹きつけられるようにインドに向かいます。
それならば、システムの側から、何かを制限を設けるべきではないでしょうか。
中高年に顕著な登山ブームは、遭難する人の数を大幅に増やしました。そこで、あまりにも軽装の登山者の入山を拒否するようにした、というニュースを見て、インド渡航にも同じことができるのではないかと思いました。
今回は女性の性犯罪の被害ということもあって、既存の男女同権社会化の方策に対する考察をします。なぜかというと、男女には社会科学的には説明できない差異があるのではないかと思うからです。具体例を挙げます。男性は女性よりも自殺が多いです。この命題は、19世紀以降、社会学が統計をもとに得てきた知見で、中国の一部の農村部を除いて世界全体、また、統計のある近代以降、いつの時代にも当てはまります。たとえばデュルケムは、男性のほうが経済活動にかかわることが多いために男性のほうがより自殺しやすいと論じました。それでは、少なくとも経済活動において男女が完全に同権になれば、女性の自殺数も男性と同じくらい増えるでしょうか。
僕はそうは思いません。自殺の要因は経済活動以外にもたくさんありますし、社会学がうまく説明できない生物学的な差異だって影響すると思います。つまり、閣僚の数や管理職の比率、大学進学率や収入など、包括的に、全面的に男女が同権になっても、子供を産み、母乳を与えるという大仕事を男性が代わってすることはできません。「家族の絆」は人間の精神活動に少なからぬ影響を与えることが明らかにされていますが、男性は男性であるがゆえに「母子一体感」を感じることは決してできないのです。
以上、男女の生物学的な差異にもとづく視点は、現行の少子化対策や、雇用政策にあるでしょうか。
先ほど述べた母子一体感だけではなくて、僕たちの思考に潜在的に働きかける社会通念や常識はやっぱり未だに機能しています。会社の制度上、育児休暇がとりにくい(もはや会社や政策の機能不全と呼ぶべきである)状況や、なんとなくという理由で、就活で苦しんでせっかく入った会社なのに、辞めてしまう人が多いことが、データとして明らかになっています。また、僕がこれまで出会ってきた大学の女子は、とても優秀で、それこそ働かなければ日本の損失のような人ばかりですが、意外にも専業主婦志向が強いように思えます。
男女共同参画社会はいまだに広範囲で実現されてはいないでしょう。育休を取れる人が、福利厚生のしっかりしている有名な上場企業に勤める人だけに限られていては意味がないのです。