Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

出国ラッシュ

今月はじめ、浦和伊勢丹の屋上ビアガーデンで4人の男女が語り合った。

高校時代、ドイツに交換留学したメンバーだ。

 

ふたりは長期の留学で、それぞれドイツのボンと西海岸のカリフォルニア

先日のカリフォルニア州で日本人学生が起こした車の死傷事故のニュースにはヒヤッとした。でも彼は太平洋を渡ってまで日本人同士で固まるような男ではない。映画を勉強し、ゆくゆくは向こうで就職したいと、オリオンビールを飲みながら話してくれた。本気の留学なのだ。

 

もうひとりは夏休みの残りを使ってヨーロッパを放浪するのだという。いまはスペインにいるようだ。

そして、僕だけが日本に取り残されることになった。

 

都心の有名私立に通いたかったのに、成績が悪く進学はかなわず、埼玉のとある私立大付属校に通っていたあの頃のような感情だ。とても悶々としている。

ここ数日の、季節が一か月進んだような気温は、なおさら僕にヨーロッパを思い出させる。 

谷崎潤一郎の『痴人の愛』に出てくる河合譲二みたいだけど、僕はかなりの欧米かぶれだ。明治・大正期の日本人にみられた欧米かぶれにもシンパシーを覚える。

 

理由は明確で、初恋の女の子がイギリスからの帰国子女だったことにある。

同じマンションに引っ越してきた友達の親も大学教授でロンドン帰りだった。ロンドンの街角の写真をもらったりした。

 

昼休みと放課後に図書館に通って、外国に関して説明している本を読み漁った。学年が上がると『地球の歩き方』など、国の文化・風俗について詳しく解説している観光ガイド・ブックになった。

それなのに、僕の大学生活は留学することなく、快適で楽な日本の生活に埋もれつつ終わりそうだ。

 

この国は本当に恵まれている。毎日ごはんを腹いっぱい食べられるし、毎晩暖かい布団で明日の生活について心配することなく眠れる。興味のあることを誰かの制限を受けることなく精一杯勉強できる。時代が違うとそうはいかなかった。太平洋戦争中の文系の大学生は、学業半ばで繰り上げ卒業させられて徴兵されたのだ。

退屈な毎日でも、食べるものがなくてどうしようもない生活を送るよりはずっとましだ。 

 

この退屈さが社会をより一層文化的にする。

徳川幕府が平和で安定した社会を約300年続かせた江戸時代。

いまの東京を形作った偉大な時代だ。

(建築物にかんして、江戸時代の面影は関東大震災でほとんど燃え尽きた。大正期の建物ですら、戦災と高度経済成長期、そしてバブル期の乱開発で跡形もなく消え去っている。ヨーロッパのまちを歩くと、1800年代以前の建物が当たり前のように残っているので、自然環境と建築文化の違いを意識せざるをえない)

 

江戸時代の例からも、文化は社会の成長期よりも、平和で安定した成熟期にこそ大きく発達しそうだ。

僕らが生きる戦後社会はここ数十年、停滞期である。しかし成熟期ともいえる。21世紀前半は文化が花開く時期ではないだろうか。それを担っていけるSomethingになりたい。

 

僕は快適な日本で精一杯頑張る。国外逃亡したみんなも文化と言語の壁に打ち負かされずにがんばれ。目指せ世界的教養人!である。