題名のない唄だけど
盲目のピアニスト辻井信行の「それでも生きてゆく」を聴いた時に、日本らしさって音楽にもあるんだなと感じた。
もちろんピアノの楽曲だから、伝統芸能的な「日本らしさ」ではない。
高校の卒業文集に、僕の親友は「こんな混沌とした時代に放り出されると考えると不安で仕方ない」と書いてたが、
日本の戦後経済史を概観すれば感じられるように、高度経済成長が頭打ちとなって以降、国民全体の目標がわかりづらい。
僕が属している社会には向かうべき指標がないように思える。コンパスの針がぐるぐる回転している状態なのだ。
(オイルショック、バブル期についてまだまだ知識不足なことは、いつだったかのエントリーを読んでいただいて明白であると同時に僕自身、甚く自覚していることだ。実際指摘を受けたし。
言い訳をすると、学部生の僕は選り好みせずに知識を身につけ、並行して様々な考え方に触れるべき時期にいる。 今後の研究に厚みを持たせるためだ。)
とにかく、どこでも筆をとって文章が書けるので(否、筆をとっているのではなく、世界中がアメリカの追随をしていることの物質的証拠ともいえる、林檎デバイスのキーボードをぽちぽち叩いているのだ!)
今夜も傲慢なる言論活動として、自分なりに言葉を紡いでみよう。
話を戻すと、行き先不明の社会に生きることの困難さは近代化を成し遂げて以来、日本人が経験したことのないものだ。
まだまだアメリカ文化帝国に組み込まれてはいるが、加藤周一がずっと昔に指摘したように日本文化は雑種性を持つもので、
常に外のものを組み入れては独自の解釈をし、文化的に洗練させてきた。
それが日本文化のある種の特性であることは認めるべきだと思う。
日本食のひとつとしての「洋食」が世界で一番おいしい食べ物だと言ってくれる外国人もいるくらいだ。カレーライス、オムレツ、カツレツ、アズ・ア・ジャパニーズ・フード !
そんな洋食にも融合の歴史があるように、その物事に関する歴史をよく見ることで、新たな知見を身につけられる。
どんな物事にも、いまその形をとっていることに関して、必然的な理由がある。
それを紐解くためのツールが歴史だろう。
歴史といえば、部屋を掃除してたら、小学生の頃愛読していた日能研の日本の歴史シリーズが発掘された。
ドラえもんが解説してくれるので勉強という意識なしに読めてしまうミラクルブック。
10年ぶりくらいに読み返した。
今読んでも思ったよりおもしろかった。
ところで、歴史的転換期とも言える昨今のエネルギー政策。
日本の行き先は、脱原発or not(するならHow to do?)が喫緊の話題だ。
都内に住民票がある友人諸君!
成人式はただ振袖を着て同窓会をするイベントではないことを証明するためにも、
この際、原発について徹底的に考え、議論してはいかがでしょうか。
テストの待ち時間とか相手しますよ。
とにかく、小さな一票でも意思を示すべきだ。
群衆のひとりひとりが歌う、題名のない歌こそが、日本をつくる。中学生でも知っているとおり、日本は民主主義国家なのだから。
わざわざトルコに出向いて、原発輸出ビジネスとかいう馬鹿げた受注を取り付けた安部首相を、私たちは支持するのですか?
どんな科学技術にも失敗は付き物、
失敗が許されない科学技術を拠り所にするなんて傲慢だ。
確かに豊かさを与えてくれるものかもしれない。けどいつかは負の遺産になる。
WWⅠの秘密外交で今日のパレスチナ問題の種を蒔いたイギリスみたいになってしまうよ。
どうなるのか、見ものですな!
それにしても、おじいちゃんばかり。