立春に際しての声明
先週金曜日をもって3年後期が終了しました。
試験最終日は都内でも積雪があって、赤煉瓦の瀟洒なキャンパスの雪景色はいっそうよく映えていました。ただ、この大学の雰囲気にはなんとなく馴染めていません。そう感じつつ3年が経ちました。
かくして突入した春休みは、久方ぶりの自由に使える長期休みになります。部活を引退したからです。
春休みは1日を半分に分けて、午前は語学(英語・ドイツ語)、午後は専門の勉強(学説史・調査法、卒論の文献を読む)に勤しみたいと思います。
少なくとも1週間は継続できました。
だいたい午前10時までアルバイトがあるので、語学はいつも2時間程度だけやっています。
並行して、もうひとつしたいことは「知の基盤」を固めることです。
これから研究を進めていくにあたって、自分自身の軸になるものが欲しいわけです。
たとえば、英語やドイツ語、フランス語を不自由なく扱える人はそれだけで研究の幅が広がります。まだまだ日本語に翻訳されていない海外の優れた研究は山ほどありますし、邦訳されていても、訳が下手くそなものばかりです。このことは、学部生活で身をもって経験してきました。訳者は翻訳のスペシャリストではなくて、それぞれの分野の専門家だから仕方ないのです。
この点は、高校時代、誰よりも世界史を好んで勉強してきたと自負している僕にとって、大きなアドバンテージでした。社会学を学ぶ人は、この学問分野が、いかに世界史的知見が必要とされる学問なのか日々実感していると思います。
僕は卒論で、公共性という曖昧な概念を扱うので、フランクフルト学派について勉強を始めたのですが、西洋哲学史を概観してからでないと、アドルノやフロム、ベンヤミンやハーバーマス等、個々の研究について理解できないと感じました。哲学史の流れを理解したうえでなら、カントもマルクスも僕に微笑んでくれるはずです。(フランクフルト学派の批判理論を理解するためにはマルクスとフロイトについて熟知することはマストです。カントは全てにおいて重要人物です。)
あとは上手い文章を書く力ですね。研究者として食いつないでいくためには必ず必要だと思います。
以上、語学、歴史、哲学、文章力は、知的創造で食っていきたいと願う自分を支えてくれる軸になると思います。
生き延びるために、飢え死ににないために、強固な「知の基盤」を築いて行きたいです。そのために春休みをつかう予定です。だから就活なんてしてる暇ありません。