Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

プロボノとしての宗教

先月は阪神淡路大震災から20年を迎え、来月、東日本大震災から4年になります。
テレビを見ながら、プロボノとしての宗教活動に可能性があるなと思いました。

テレビでは、神戸のお坊さんが家族を失った人びとの心の傷を癒すNPOを主催していると紹介されてました。

日本社会において、1000年以上の歴史をもつ仏教や神道の影響力は侮れません。
どれだけ日本人が世俗的な生活を送っていようと、仏教はつねに人の死に寄り添います。
一方で、神道は「始まり」というイメージです。年の初めには初詣をし、子供が産まれればお宮参りをする。幼い子供には七五三です。無意識のうちに住み分けができています。いずれにしても、人生の節目に宗教的行事があるのです。

そして、僧侶にせよ神主にせよ神父にせよ、宗教を仕事にする人には、人の心を癒すような力があります。これは、必ずしも不思議な力ではなくて、人の死や人生の節目に寄り添ってきた経験や、訓練によって体得された職業人としての能力だと思います。

臨床的な宗教のあり方は、冠婚葬祭に限定されている宗教と社会との繋がりに、新たな意味を付け加えてくれるものになるかもしれません。
僕は伝統宗教との関わりを、儀式だけに限定することはもったいないことだと思います。

他者の力になるために各人の専門能力を生かせる社会は美しいです。

冒険もののRPGとかアニメーション、あるいは犯罪映画などでも、それぞれの分野のスペシャリストがひとつのパーティを組んで、難関を突破していくストーリーは人気があり、見ていてとてもワクワクします。

最近はそんなことを考えました。