Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

客観性のない善意は機能しない

フェアトレードについて文書を書いてみました。
 
現在のフェアトレードの方策に対する批判でもあるかもしれません。
 
その中で特に僕が心血注いで育てているコーヒーについて書きます。
 
 
コーヒーは暖かい赤道付近の国で栽培されていることは想像に難くないと思います。
もちろんその殆どは工業化された国ではありません。
 

そのコーヒー生産者達が相手にする先進諸国は、頭のてっぺんから足の先まで資本主義が浸透しているため、消費者は万人が商人です。

 
つまり「いかに自分の出費を抑え、相手に多くの金を出させるか」、このことこそが先進諸国の消費者の主な感心事であるといえます。

その中で、フェア・トレードという消費行動は、
コーヒー好きの人が生産者を護るため、という意識の元、自分のライフスタイルとして消費する以外で、
 
他に「安い商品」という選択肢が消費者に与えられ続ける限り効果的では無いように思えます。
 
ですが事実、生産費用や材料費を差し引くと、コーヒーを1kg売る度に生産者が損をすることは、グローバリゼーションが人を殺すことの典型的な例で、是正されるべきであることは自明です。
 
なので、NPONGOなど、営利を社会に還元する団体が急激に増えているという現状からその様な団体に期待するしかなく、
 
 その考えに賛同する人がまたライフスタイルとしてそういった活動に参加すれば良いと思います。
 
これがひとつの着地点です。
 
しかし、
日本人は無意識の内に、マッカーシズム赤狩りに代表されるような、アメリカの反共産主義トレンドに同調しているのかわかりませんが、
 
そういった活動を見るや否や、「左翼的!」と排除する傾向にあると思います。
 
そういった目が向けられているのは、
脱原発や反戦平和運動など、代替案もなく決定的に非現実的な主張だけでしょうか?(いいや、違うね)
 
スタインベックの「怒りの葡萄」では、劣悪な労働条件に不平を言うと「アカ」のアジテーション演説だとして保安官にしょっ引かれる記述がありましたが、
 
我が国ニッポンでも、現行の経済的慣習に一石を投じようとすると、必ずや制裁が待っているのではないでしょうか。
 
ひとつ例を挙げるとすると、
パチンコを批判的に描くジャーナリストの方の話を聞いたところ、
「命が危ない」とかいう台詞があったほどです。
 
理由は単純明快、大きな利害が渦巻いているからです。
 
それではどうするのか、
社会学の出番ではないでしょうか!
 
これからこのテーマも練り直して結論をこのブログに書きたいと思っています。
 
要するに、現行のフェア・トレードはコーヒー農家を救済するためにはいささか改変が必要だということを書きたかっただけです。
 
 
先進諸国は消費者を甘やかしすぎなんですよ、あつかましい。