プロレタリアートたちの哀しき歌声は聞こえるか
昨日、20日から彼岸の期間に入った。
「暑さ寒さも~」という言葉があるが、なるほど朝晩はすでに肌寒い。
そこで彼岸花である。
鮮やかな赤と独特なフォルムはどことなく魅了される。
今年も部活の練習場所にも咲いていたが綺麗だった。僕は母から不吉な花として教わった憶えがあるが毎年この花を愛でている気がする。
なんとなく不吉であるがゆえに心惹かれるという種類のものが世の中には存在するのだろう。
長崎の軍艦島もそうかもしれない。
先日、日本政府が世界文化遺産候補として推薦することを決定したが、その人気の根底にある廃墟を好む感覚こそが
彼岸花というあまりおめでたくない花を愛でる感覚と通じるものがあると思うのだ。
元来廃墟は好き好んで行くような場所ではないし、勝手に入ると建造物侵入という法律違反だったような気もする。
日本の古典でも幽霊が出る場所は決まって廃墟めいた場所であるし、源氏物語で夕顔が物怪(六条御息所の生霊)に襲われ急死してしまうのも廃墟とはいわないものの、普段は全く人の利用しない皇室の別邸だった。
特に軍艦島(端島)は、明治維新から高度経済成長までの日本を支えた石炭の炭鉱だが、
それ以上に労働環境が劣悪で、逃げようにも周りは自然の城壁で囲われており、泳いで脱出を試みる(「島抜け」といわれた)ものもいたそうだが、大半は溺死したという史実もある。
――日本における初期資本主義社会のパセティックな搾取の舞台
それも経営していたのは初期資本主義社会を象徴する財閥、三菱である。
観光地としてこの場所を売り出すことは僕としても魅力を感じるが、この国が労働に関する思想を持ち合わせていなかった時代に起きた惨劇の舞台であったことも、しっかり伝えていかなければいけない。
そういった歴史を踏まえた上でもやはり心惹かれるのだから、
何かしら共通のキャッチ―な要素があるのは否めない。
そもそも観光は宗教的な行動だったはずが、物見遊山的な側面が強調され、さらには歴史というファクターまで忘れ去らてはいないか。
残るのはこれまで書いてきた「なんとなく」な感覚である。
観光地、どこでも洒落たカフェがあり、どこでも小洒落たイタリアン・レストランでハイネケンが飲める。断っておくけどハイネケンはオランダのビールだ。
横浜はもっと「商港」そして明治期のハイカラ具合を押し出して欲しい。
(それならばイタリア料理店でハイネケンを飲んでもよさそうだ)
鎌倉は中世の都らしく寺社仏閣の豊富さをアピールして欲しい。
(そのうえで小洒落た店も、別荘地・鎌倉の新しい日本文化としては歓迎されるべきなのか)
要するに、お洒落な観光地もそれはそれで僕も嫌いではないのだ。
ただ、そればっかり強調され「なんとなく好ましい」ばかりが優先されると、
大切なものを失いかねないし、そこから学ぶ機会をみすみす見逃すことになってしまうだろう。
オリンピックも決まってグローバル・シティ東京もいいけど、
土地とそこに根付いていた文化と歴史も大切にしていけたらいいね。
P.S
話の導入に使わせてもらった彼岸花、
毒があり食べると死ぬこともあるそう。