北海道旅行記
北海道に行った時の話を書く。
エアーアジアという格安航空機を利用、片道2800円。
電車の運賃なら北関東すら出られない。
そういうこともあって、機内は外国人バックパッカーがたくさんいた。
アメニティの不備は若さで補える。それに安いから快適ではないのかと問われれば、いうほど悪くないのである。
3列シートの窓側は僕、左隣は白人のカップルだった。
彼らの国籍は分からない。知らない言葉を話していた。
会話から察するに、英語でなければ、ドイツ語でもない。
そして、おそらくフランス語でもないような気がした。
天気は快晴、
成田国際空港を出発した赤くてかわいい飛行機は霞ヶ浦を左手に見下ろし、鹿島、日立の海岸線上を北上する。
常磐線のルートだなとか考えていること40分弱、
ふと背筋が冷たくなった。沿岸の風景が異様だった。つまり、あの津波の被災地が見えた。
大きな川を遡上したのだろう、川沿いの建物が土台だけになっている景色ではっとしたのだ。
初めて見た。フィクションなんかじゃなかった。
また、ある思いが浮かんだ。
このままいけば、福島第一原発も生で見れるかな。
カメラを準備した。
[Look! This is the nuclear power plant which had broken]
同乗者たちにも教えようか悩んだ。
――英語くらい通じるだろう。
僕らは不幸なことに文字も体系も全く異なる言語をマザー・トングとして、それを下敷きに英語を学習する。
しかし彼らはそうではない。
高校時代、ドイツからの留学生に、ヨーロッパの人にとって英語はカンサイ・ダイアレクトみたいなものだよ、と言われて激しく嫉妬した覚えがあるし、
昨夏、久々に会ったドイツの友人も、オランダ語は喋れないけどだいたいの意味はとれるよと言っていた。
故にためらいなく英語で話しかけられる。
それでも、話しかけるべきなのだろうか。
僕ひとりの言動が、彼らのなかの「日本人一般の原発に対する認識を示す言質」とみなされることははっきり言って避けられない。
日本人は原発事故の「被害者」である。
僕も水素爆発のニュースを観たときは不安だったし、今なお「日常」を奪われ続けている人だっている。日本の地方一般の高齢化を考えれば、生きてるうちに故郷を、日常を返してもらえるのかと不安な日々を送る方々の存在がそれでも再稼働させようとする現政権への不信感につながる。
もちろん東京電力ないし国の債務超過につながり、経済成長の足枷になることは理解した上で言いたい。
数パーセントのリスクを国民に背負わせることと引き換えにするほど、大事なことなのだろうか。
――かくもメランコリックな〈被害者としての原発事故観〉がわれわれにある他方、
〈加害者としての「日本人」〉も客観的に見るとするならば、意識しなければいけないのではないだろうか。
僕たちに責任がないと言えば嘘になる。アメリカの子分たちの核の平和利用推進トレンド(韓国は原発の数が世界第3位)があったにせよ、原発を推進する政権を支持してきたのは他ならぬ日本人だからだ。
1986年のチェルノブイリ原発事故は、地続きのヨーロッパ諸国にとって純粋な放射能汚染の恐怖だっただろう。ウクライナの人には責任がないけれども、憎まれたのではないか。エイズ患者の差別などから伺い知れるが、それが人間の本質だからだ。
これは島国の日本人には理解しづらい感覚に違いないけど、放射能をまき散らした加害者としての日本が存在しているのかもしれない。中国、韓国の反日感情が起こすものとは違って、だ
故に、僕自身の軽率な言動がとあるヨーロッパからの旅行者の「日本人像」を悪く変えてしまうのではないか、と僕を葛藤させた。
その時だ、飛行機が航路を変えた。
少し西に、内陸に向かって航行しているのがわかった。
新千歳空港に着いてから調べたのだが、
事故があった原発の上空は航行してはいけない法律があるようだ。
そういえば、両親に連れられて北海道の泊原発見学ツアーに 参加したことがある。
3歳ぐらいだから鮮明な記憶なんてあるはずないのに、とても楽しかったことは覚えている。
よく、反対派でしょ?と訊かれるが、原発に賛成が反対かなんて、嫌悪感はあるにせよ、はっきりした立場を取れるわけがない。なぜならまだまだ非常事態だからだ。