Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

博物館は国家の縮図、そしてホーチミン・カルチェラタン

歴史博物館に行った時の小話を。 

ドン・コイ通りにあるシェラトンから歩いて20分ほどで着いた。

英国領事館とアメリカ合衆国領事館が両側にある大通りを歩く。その突き当りに歴史博物館と動物園がある。

ホーチミン市人文社会科学大学も構内に侵入できたら様子を伺おうと目論んでいたが、年末で閑散としていたし、そんな雰囲気でもないので断念。

普段は日本円にして30円くらいでフォーが食べられる小汚い屋台が軒を連ねているそうだがそれらも見当たらない。

 

しかしさすがは大学のある地域だ、本屋は営業していた。

どこの国でも大学のある地区は似た雰囲気を共有しているようだ。

東京には魅力的な学生街がたくさんある。

学生街の代表格、早稲田付近は言わずもがな。明治大学付近の駿河カルチェラタン(カルティエ=街、ラタン=ラテン=学問であるから「学問の街」そのものだ)は美味いと評判のラーメン二郎・神保町店だけではなくて、やけに専門的な、別の言い方をすればニッチな分野に特化した古本屋がたくさんあり、まさに学問の街だ。

カルチェラタンはパリにある大学が密集している地区の名前であるわけだが、明大がカルチェラタンならば、立教大学はモンパルナスだ!と「池袋モンパルナス」がこの西池袋に存在するのである。むろんモンパルナスもパリの芸術家がたくさん集う地区名で、東京芸術大学に通う学生が西池袋に下宿しアトリエを設けていたのが始まりらしい。(元来関係ないものの豊島区の都市政策では一緒くたになって組み込まれている)

 

完全に脱線だが、残念なことに立教通りがどんどん「文化的」でなくなっているように思える。正門前には変な林檎のマークの携帯電話ショップができた。ガラの悪い(少なくともヘッセの「車輪の下」とか読まなさそうな男の所有物っぽい)大型バイクが赤煉瓦の歩道に駐車されているのは実に好ましくない。アメリカのジャンク・フードのチェーン店もできた。学生街の保護こそ区の文化政策として保守的になってもらいたいものだ。お隣の学習院大学付近は雀荘など一切の出店が禁止の文教地区指定(?)されているそうなのだから。同じ豊島区じゃないか!

社会学部生でなにか行動起こしたいですね。パッションがある方、コメントください)

 

人文社会科学大学の近くなのに期待していた社会学コーナーはなかった。

しかしO・ヘンリの短編集を見つける。3ドルはどう考えても安いので購入。

試験前であるが対訳方式で「赤い酋長の身代金」を読んだ。

日本人作家は東野圭吾村上春樹くらいしか見あたらなかった。

一昨年滞在した台湾では村上春樹の人気は目を見張るものがあり、僕の好きな作品(中国語にすると「舞・舞・舞」だ)ももちろん翻訳されているのだが、同じアジアの国のなかでも結構違うみたいだ。

テレビ番組でやっていたが、リアリズム志向の「ノルウェーの森」はアジアで人気を博しており、オリエンタル・ファンタジー的な「羊をめぐる冒険」は西欧諸国でこれぞMurakami World!!と人気がわかれるそうだ。

「日本」の文物にオリエンタルな要素を期待するのか、お洒落で先進的な要素を期待するのか、日本への目線の質の違いも村上文学から見えてくる。

それらを組み合わせたのがテクノ・オリエンタリズムであり、これからのグローバル都市はこの方向性で都市計画やソフトの政策がなされればもっと魅力的になると思う。

村上春樹ばっかりですみません。嫌いな人(ある意味この人たちもハルキストだと最近考えている)、興味がない人、読んだことない人にはサッパリでしょう。

 そうそう文化の話です。

 

ベトナムの知識人は「中華文化圏の一員」としての誇りを伝統的に持っているらしい。

そういうことで、中国支配時代の史料も含め、展示は実に盛りだくさん。

旧石器時代の史跡から、ベトナム戦争、そして各民族の紹介まで、ひとつひとつの説明を精読するのには骨が折れたが充実したものだった。

これは小熊英二先生の金言であるが、博物館は国家の縮図であるわけで、これだけ充実している博物館、ベトナムを理解するにはうってつけだ。しかも入館料が15000ドン、日本円にして75円くらい。 

仏像にヒンドゥーの神々、とくにエレファントなお顔のガネーシャ石像は見ごたえがあった。東南アジアはしばしば「民族の十字路」と揶揄されるが、「神々の十字路」でもあるらしい。

民族の隆盛と共存の歴史もあるし、超大国からの支配の歴史もある。外圧を跳ね返した歴史もある。元の戦艦を撃破する大きな絵画が展示されていた。陳朝期の出来事だ。

日本も神風が吹いて元を撃退した歴史を近代まで引きずっていたが、ベトナムも同じようだ。隣国、韓国では豊臣秀吉文禄・慶長の役を退けた李舜臣が今でも英雄であるから、どこの国も同じようなものか。

 

とにかく、中国とインド、隆盛の時期はズレているものの、この二大国に板挟みにされているという歴史は僕たち日本人にはあまり理解できないのかもしれない。

少なくとも、超大国が海を越えてやってくる経験は中国とオランダ以外、黒船まで存在せず、文化的な影響を除いて、第二次大戦後以外で支配もされなかったのだから、やはり特異な歴史を持っている国で育ったという実感がわいてくる。

 

そしてここで津田塾に通う女の子と出会う。ベトナムに一人旅だなんて津田塾らしい(?)。彼女を日本人と見抜き、話しかける。写真を撮ってもらった。

一人で街を歩く際に、どうしても証拠写真が欲しい時、そこが観光地である場合この日本人を日本人と見抜く能力が役に立つわけだが、想像通りそれ程難しくない。顔つきでわかり、骨格でわかり、服装でわかり、仕草でわかる。 

他国の歴史を読み解いて見えてきたのは日本人としてのアイデンティティだった。 

 

まだ書きますーー