Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

3月をどうすごしたか

所属する体育会クラブで千葉に合宿したり、京都に遠征したりと大学生らしい3月だった。

気づくと、春休みが残り1ヶ月を切り、いざ3年生である。 

春からは本格的にゼミが始まる。
横浜市創造都市政策について専門的に勉強する予定だ。

そこで来週、予習という意味で、
また本当の意味で、大学生らしくて楽しい春休みを送るべく、
産業とクリエイティビティの連関、売れるものを作るのか?作ったものを売るのか?という横浜の創造都市に関する講演会を聴講することにした。

たしかに、この世界では、どんな活動をするにも、その資金は回収できるのか、するならどのような方法で?が重要だ。

でも、それだとあまりにも無粋であるような気もする。


聞きかじった話だが、僕と同じように考える学者もいるようだ。
特に観光学で顕著なのだが、
カネにならないことに重点をおいて研究をする。
つまり、観光地に一番大事なのは金を落とすことであるわけだが、それに目をつぶって、文化・歴史について論じたがる姿勢だ。

このことが「立教らしい」という言葉で馬鹿にされている。

それはそれで悪くないような気もするけど、世の中の前提を考えるとき、やはりこの「立教らしさ」は、実際役に立つ学問としてナンセンスなのだろう。

高校時代、文学部に進んで、なんの役にも立たないことがしたい、と周りに吹聴したことを思い出した。本質的には何も変わっていない。
けれども、大学卒業後も勉強をしたいのなら、学問の世界の社会的使命も考えるべきで、何かしらの役に立たなければならないとも思う。

マーケット・メカニズムは文化をも規定している。