Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

クリミア半島について

最近、クリミア半島のロシア編入に関する報道が数多くされているが、思うことを書いていく。

ナショナリズムが昨今の関心事であることが、この文章に現れていることは確かで、論理的な文章ではない。けど、それはまあいつものことだ。
ただぼくの主張はある。
 

1.「自国民の保護」はナショナリズムの隠れ蓑

理屈ではヒトラーの「ドイツ人たくさんいるからオーストリア併合してもいいっしょ」と同じだ。暴挙である。
 歴史のどの時点でも、自国民の保護が、武力介入の大義名分とされ、その多くが紛争に発展しているのだから、筋が通っていて正しくても、この言葉には警戒しなければいけない。

2.  民族自決とは

ロシア併合は、ウクライナに住むロシア民族の当然の権利である、これがロシアの主張だ。
「一民族一国家」果たしてこれは正しいのか?

民族自決ウクライナというれっきとした国家の主権に優越するのか?
まず、ここを考えなければならない。


3. サラエボ事件から100年

ちょっと論理の飛躍。でも、安全保障については、これくらい疑い深くなっても良いと思うのだ。とりわけ一般市民は、である。

われわれは歴史から何を学んだのか。

間違いなく、2つの世界大戦は、この地球市民集合的記憶であることに触れつつ、その後、冷戦を経て、パクス・アメリカーナに陰りが見えるこの世界で、正義はいったい何を意味するのか。

戦後処理と冷戦体制が構築されたヤルタ会談が行われたのは、奇しくもこのクリミア半島である。

その中で、ソ連の中立同盟破棄と対日宣戦が決定された。(祖父が小学生だった僕に、いかにも怒りを抑えきれないといった様子で語ってくれたことを憶えている。祖父母の家に泊まった夜、祖父の布団に忍び込むのが僕の楽しみだったわけだが、決まって「お話」をせがんだ僕にしてくれたのが戦時中の話だった) 

一国の命運がかくも簡単に決められて良いものなのか。ある地域の併合は、そこに住む人々のアイデンティティそのものを根本から揺さぶる。
勝者の(あるいは強者の)世界分割は前世紀の思想であり、いま、それを許すことはできないだろう。

われわれは臆病過ぎるくらいで丁度良い。