Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

社会復帰にむけて

最近それなりに忙しい。

ひとつの組織を動かしている以上、
理事の方々との相談や、公益団体の方との交渉があり、連絡を密にしておかなければならない。電話やメールの着信音にとても敏感になった。
 
これまでは、頭のスイッチがオンになっていなければ電話は基本的にスルーしてきた。もっとも僕に電話をかけてくるのは、ろくでもないバイト先の店長くらいだったけど。
 
 
今週はアルバイトも申し込んだ。
進学するならば、教育関連のアルバイトをするべきとのアドバイスを、と昨年お世話になった先生にいただいたこともあり、応募先は個別の塾だ。授業料が高いことや、中学受験で有名なT塾である。
 
研究者になるということは、自分の研究で成果を出すだけではない。研究と学生の教育と大学の雑務との3本柱で成り立つ職である。
多くの場合、研究者は大学で食い扶持を見つけるのが普通だ。そして、それも狭き門だ。
 
一昨年、マックス・ヴェーバーの「職業としての学問」を読んだ。
彼の時代から、ドイツ文学者は、初学者向けの基礎ドイツ語講座を持たなければいけなかったのだ。
ぼくも90分の時間配分の訓練を受けてみるべきかもしれない。
人間は形のないものに形を与えたがる。不安だからだろう。時間という概念も、あたかも1本のロールケーキみたいに上手く切り分けて行けるのが上手な先生だ。
 
また、金を貯めて、今夏から1年間ボンに留学するF君に会いに行きたい。周りの皆が就活真っ盛りの春頃に行くのが目標だ。
僕とは違う世界に旅立つ彼の姿を見にいきたい。また、院試にはドイツ語もある。高校からやってきて基礎レベルはもう大丈夫だろうが、また勉強するモチベーションにしたいというのもある。
 
 
もうひとつ、定期的に髪を切っている。
ここ最近は2ヶ月に一度は散髪している。
短くしたい欲求が強いので、就活スタイルを通り越して自衛隊カットに近づきつつある。 
 
服装にこだわりはないが、最低限、相手に清潔感くらいは感じ取ってもらいたい。
ちなみに、初対面の大人と会うときには白のラルフローレンのポロシャツに紺のチノパンを履くのがベストだ。ポリシーでもある。
 
たぶん着実にまともになりつつある。
もう赤レンガ造りの瀟洒でお洒落と銘打たれるキャンパスを、パジャマで闊歩したりはしないはずだ。
 
これらは、年下の女の子が僕に話してくれたことが少なからず影響している。
 
財産は、破産したヒルズ族の会社経営者のように、いつか失うことがあっても、自己投資した分までは差し押さえられない。何よりも揺るがない自分自身のものだ。
自分磨きという言葉は痛々しいから好きではないが、まともじゃないよりは、まあ、まともな人間でありたい。
 
それにしても、いま奇妙な髪型をしている