5月35日
今日は天安門事件から25周年。
広場に集う民衆の声を戦車で踏みにじった近代への冒涜とも言える事件だ。
世はテレビの時代で、世界のお茶の間にその映像が流された。国際的に制裁を受けたが、指導者の首がすげ替えられただけで共産党は折れなかった。
中国、自由な言論空間たることを期待されたインターネットをも統制下に置くほどタフな国だ。メジャーリーグ級の共産主義国家である。
ネットユーザーたちは検閲を逃れるために、隠語として6月4日の天安門事件のことを「5月35日」と呼んだ。
この事件からは間接民主主義、そしてインターネットの時代にあっても、大きな広場は公共圏としての役割を担い続けていることがわかる。
まずは天安門広場、台北は蒋介石を記念した中正紀念堂前にある自由広場、ベルリンはもちろんブランデンブルク門だろう。東京だと日比谷公園。皇居もそれなりに広大だが、ぼくの経験上そこで反原発デモをしているのを見たことはない。天皇という存在の特徴なのか、たんに警察が常に目を光らせているからなのかは知らない。
パリやロンドンのカフェは今も言論空間であり続けているのか。
コーヒー文化を愛する者としては公共圏としてのコーヒーハウスを日本に作りたい。というかあってほしい。
今日書きたいと思ったのは言論統制についてだ。
このブログで、1年くらい前に言論統制についての批判を書いた。
たしか、何が正しくて何が間違っているかなんて、結局は時間が経ってみないと分からない。クリミア半島を併合しようとしているロシアに対し、烈火のごとく非難を浴びせる先進諸国だって、第二次大戦で痛い目を見るまで植民地獲得競争に狂ってたんだぜ?平和にかんする日本の価値観も100年前はまるで180度違うものだった。だから口封じは真実を隠すだけ、みたいなことを書いたはずだ。
中国の大学では学問の自由は制約されたものである可能性が高い。
中国の大学を卒業して、日本に留学しに来ている人の話を聞いたことがある。
論文の最後に「共産党のお力をお借りしてこのような成果が上げられました」みたいなことを書かなければいけないそうだ。
ゆえに、情報収集には英語や日本語など外国語がある程度扱えることが必要なことは理解できる。
しかし、それは我々日本人にとっても同じではないだろうか。もちろん、そこには生きていくために必要な・・・という緊張感はないけれど。
この国では、知ろうと思ったことは何でも知れるが、世界的な目線で見れば、日本語という超ローカル言語でしか文化を消費できないというのは、機会損失である。
というわけで言語、言語、言語。
書いているうちに5月36日になってしまった。
英語もだけど、日本語をもっとうまく扱えなければ食べていけない。学問の世界にとどまるならば。
だからちょっと頑張って、もう少し頻繁に更新したい。