我 愛 池袋!
昨日、池袋西口で脱法ハーブを吸った男の車が暴走した。
大学がある側で、よく行くラーメン屋の近くだ。
地方から出てきた友人に、心配した彼の母親が電話をかけてきた。
この事故で一人の方が亡くなったのだが、中国、福建省出身の若い女性だった。(西池袋のどこかですれ違っていた可能性だってある。ご冥福をお祈りします。)
事故現場は北口近くで、北口にはチャイナタウンと言っても遜色ないような地域が広がっている。正確に言うと、観光客誘致のために、チャイナタウン構想があったのだが、地元商店街の反対で中止になった。
馴染みのない香りのする食品雑貨店があるし、中国語新聞を売る人がいつも立っている。
驚くべきことに、中国本土の新聞ではない。池袋に住む中国人が新聞を発行している。その数は日本一で数十紙あるとか言われている。勉強不足で正確な数を把握していないが、華僑メディアの一大拠点とも言えるのが、この西池袋なのだ。
なぜ西池袋に中国人が集まったのか。
二つの説明がある。
まずは都市社会学的視点から
日本は1960年代、飛躍的な経済成長を遂げた。その中心である東京にはどんどん労働者が流れ込んだ。もちろん地方からである。
その時に、地方出身の若い独身男性を受け入れた街のひとつが池袋。
安いアパートに、コインランドリーや飲食店、銭湯など、男性単身生活のためのインフラが充実していた。
1980年代、アジアから流入してきた労働者は、老朽化したこれらの安アパートに入り込むようになった。
東京芸術劇場ができてからは、随分環境が良くなったが、それまでは近づきがたい雰囲気だったらしい。
次に日中関係史から
西池袋は宮崎滔天ゆかりの地である。
だから、日本好きな孫文ゆかりの地もこの西池袋なのだ。
まだまだ要因はあるだろうが、豊島区の総人口のうち3パーセントが中国にルーツを持つ人なのだから驚きである。もちろん、すべてを登録できているわけではない。不法滞在だって相当な数だろう。そして埼玉や神奈川などから、池袋にある中華料理屋などで働く中国人が通って来る。そういうわけで、この地区を歩くと、とても中国人が多く、聞こえてくる言葉も中国語のほうが優勢だ。
先日、西池袋で出版社を取り仕切る段躍中さんのお話を聴講することができた。
以下、感じたことを書く。
昨今、政治レベルで日中関係が良いとは言えない。また、書店に行くと、中国(のみならず韓国にも)に対して批判的な本が多く売られている。「だから中国は〇〇だ」「呆韓論」などは僕も確認した。大学の書店には無い種類の本だ。低俗で無教養な層によく売れるのだろう。
尖閣諸島の領土問題も、東京都が購入するという強引な手段を、石原慎太郎が執らなければ、領土問題の対象にしては実に静かな島であっただろう。たまに誰かが騒ぐだけで、尖閣諸島は永遠に日本のものだ。しかし、日本が余計な強硬手段に出たからには、中国共産党にもメンツがあるから、黙っているわけにはいかなくなる。ほんとうはどうでもいいのに。
わざわざ蜂の巣をつついたりしなければ、刺されることはないし、漁船が体当たりしてくることもない。これが中立的な視点からの尖閣問題だ。
その事実に含意は無いにしても、わざわざその日に・・・と中国人の感情を必要以上に逆撫でしたのは事実だ。
強気に出るなら、もう少し勉強したほうがいいんじゃないの?と思う。
たしかに日中関係は好ましくないが、
草の根レベルで日中の関係が壊れてはいけない。
ナショナリズムとか、国家とか国民とか領土とか主権なんていう概念が生まれる遥か前から、日本と中国は繋がってきた。
中華思想という周囲のものにとって鼻持ちならない考えをもつ隣人として、それでも、文化的に繋がってきた。
ごく最近になって生まれた「日本」という安っぽくて薄っぺらい、作り物の愛国という感覚に騙されてはいけない。村上春樹のいう「安酒の酔い」に溺れてはいけない。
そのために、自分の考えをフェイスブックでもなんでもいいから、発信する。
草の根レベルでは、良き隣人であるために、池袋の中国人について知る。
そのための結節点のひとつが、グローバルシティ東京なのだ。
これらの研究は、15年くらい前に、我らが社会学部が調査を行って、一冊の本になってます。読み物としてもとてもおもしいのでリンク貼っておきます。
奥田先生のゼミ生も調査に参加したというのでとてもインスパイアされた。シカゴ学派のフィールドワークみたいで、なんだかわくわくしながら読んだ一冊。