ベルリンの小径
僕はある国の首都にいる。
先進国の大都会の中にある森の径を歩いている、歩き続ける。
目の前に聳え立つのは1800年代における三つの戦争の戦勝記念塔。
頂上には黄金色のニケ像が九月の陽光を浴びて輝いていた。
左手にはビスマルクの銅像が見える。
プロイセンの鉄血宰相、当時平和主義で左寄りだった僕でも彼には心惹かれた高校時代を思い出す。
どれほど歩いただろうか、
北海道と同じくらいの緯度にあるこの国では、東京よりも季節がひと月ほど早く感じられ、その分秋がどっかりとこの街に腰をおろしていた。
それゆえ滞在の間のほとんどをポロシャツの上にカーディガンを羽織ってすごした。
それでも少し汗ばんできてカーディガンを脱ぎたくなる。(戦勝記念塔のふもとのカフェで一休みがてら飲んだピルスナー・ビールのせいかもしれない)
この街を観光して一番最初に感じたことはなんとなく小奇麗というか、こざっぱりとしていることである。
ベルリンはただ単に政治の中心なだけであって、経済の中心はフランクフルト、文化の中心は別の都市、といったように徹底した機能分化がなされているのではないか、
との仮説を立て、日本に帰ってから都市社会学をやろうと思った。
それでも、この小径を抜ければ、ブランデンブルク門にたどり着き、
森鴎外の「舞姫」で主人公の豊太郎がエリスと出会ったウンター・デン・リンデンにも抜けられるし、ドイツの近代史や東西ドイツの様々の痕跡をみることができる。
とどまることを知らない資本主義に基づく都市化の波から、ある国の国民としてのアイデンティティ形成にかかわる史跡を守るには、都会のど真ん中にでも森があることが上手に機能しているのだろう。
そう考えると東京にも、我々日本人の象徴たる宗教指導者一族がお住まいになる邸宅が大都会のど真ん中の杜の中にあった。
自然にはなんとなく抗えない。
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初めての旅行記を書いてみました。
どうしてこのような文章を書いたかと言いますと、
先日ちょっと涼しいな、と感じた夜に2012年の夏を思い出したからです。
ある種の記憶は写真や映像などの情報量の多いものよりも、においや音楽、気温によるほうが、情緒的にその情景を思い起こすことができるのだなあ、とか考えながら書いたのです。
みなさんにも初恋などに関して思い入れの強い一曲があるように、僕の初恋にも思い出の一曲があったりします。
流行の音楽はその時代のヒトビトの間で共有され消費され、
場合によっては世代を特徴づけ、個人を社会と結び付けてくれるものともいえるから、やっぱりある意味では集合的記憶なのかな?
宮崎ゴロー監督のジブリ映画「コクリコ坂」で坂本九の「上を向いて歩こう」がいい味出してるのと同じ感じです。(ちなみに英語版タイトルは「Sukiyaki」です、ぼくの好きな曲)
それ以外で社会学的に分析できるか考えてみましたが、
何も思いつけず、つれづれにまかせ投稿するということです。
P.S
ちなみにドイツでは16歳から飲酒オーケーです。
Kein Bier vor vier (ビールは4時から)と僕の家にホームステイしたドイツの友人もそんなことを言ってAsahiとSapporoを飲んでたなあ。