Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

入試の時期です

今週一週間練習ができなかった。

先週土曜日に降った雪のせいだ。

 

暇だったので、松岡洋右の伝記を読んですごした。

彼のイメージはもっぱら、国連脱退の演説をした人物であったり、

日本をアメリカとの対立にしむけた戦犯というのが強い。

しかし、本当の愛国主義者なのだという。

だから、伝記の副題も――悲劇の外交官――だった。

 

それより気になったのは、彼が政治家になる前に勤めてた職が、満州鉄道の副社長であったことだ。

シベリア鉄道を経由して、陸路でパリに行けたというのだからロマンがある。

 

そういえば、僕たちが受験生の頃、早稲田の社会科学部の日本史で、

満州鉄道のレール幅を問われた事件が、われわれクラスメイトを震撼させた。

 

しかし、社会科学を学ぶには、そこまで瑣末な部分まで知らなくてもいいじゃないか、と思われるまで、歴史を知らなければいけないことが多い。

 

だからこそ、試験問題は大学からのメッセージなのだと、受験生諸君は文句を言わずに取り組むべきである。法学部の国語に作文があるのも、そういった技能がある学生を早稲法は求めているからだろう。

 

二月の後半にもなってくると、国立志望者か早稲田大学志望者だけが学校の自習室に残ることになり、心が折れかけることもあるだろう。そこで折れたのが僕で、こうして終生引きずり続けることになるであろう学歴コンプレックスを持つにいたる。

 

センター試験まで僕のほうが得点では勝っていたライバルがWに受かって、僕が落ちるという、ショッキングさと悔しさでいうと今回の高梨紗羅選手並みだった出来事もあるっちゃあるけれど。

 

受験シーズンだからこんなエントリーを書いている。

しかし、よく考えて欲しい。

こんな一生を左右するような勝負が、

(適切な努力をしてきたことを前提として)運に拠るところが大きいような一発勝負であることは、すこし厳しすぎやしないだろうか。

それに、大学入試が難しすぎるのも日本の抱える問題だ。

欧米の大学では、入り口よりも出口を重視することは有名だが

入り口で燃え尽きてダメ人間になる大学生が多すぎる。

 

「日本では」と書いたが、中国、韓国でも共通の問題なようだ。

とくに韓国の大学入試の過熱ぶりは日本でも話題になるほど。

つまり、われわれ東アジアに共通の基盤が、受験システムにこのような特徴を帯びさせているともいえるわけで、

おそらく、中国の官吏登用制度、科挙が大きな影響を及ぼしたのだろう。

大企業の就職試験を思わせるような、過酷な試験である。

たくさんの受験者がだんだんと絞られ最後は社長(役員)面接。

科挙も最後は殿試、皇帝に謁見するのであった。

 

欧米の就活はインターン重視ときいたこともあるので、やはり、このシステムは

科挙という東アジア独特の歴史基盤をもつ制度であるといえそうだ。

 

このように、社会科学を学ぶには、歴史を学ぶことが必要不可欠であると思う。

 

まあ、分析したところで、学歴コンプも、過酷な就活もどうにかなるわけじゃないけど。