Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

自由からの逃走

近代以降、人は自由に苦しめられている。これほどまでに自由を手に入れたのにちっとも幸せになれない人が大勢いる。

近代化、つまり工業化を経て、多くの人々が都市に暮らすようになった。そこには小さな農村社会のしがらみや因習などは存在しない。眼前には自由の世界が都市の明かりとともに広がる。しかし、農村社会から自由になるということは、同時に、何が適切で、どんなことをして生きていかなければならないのかを、自分の頭で決めなければならないということである。農村の小さな社会では、自分の両親、祖父母、曽祖父母・・・とご先祖たちが作り、状況に応じて調整してきたルールに従って生きればよい。じいちゃんも父さんも、息子も孫もみんな同じ仕事を世襲する。選択の自由はないが、自由だけれども失業への恐怖と不安定な暮らしを送る都市の住民とでは、どちらが良いのかは分からない。

僕はサラリーマンの父と、大学で働く母との間に生まれた時点で、農村社会的な束縛からの自由は保障されてきたわけだが、いざ進路を考えると、その自由に苦しめられてきた。大学入試は楽だった。名のある大学を志望し、実際合格してしまえば、誰にも反対なんてされなかった。既存の権威にしがみつくのも逃げ道のひとつである。就職活動あるいは大学院進学、これからの人生を大いに左右するイベントがこの後に控えている。そこでの自由は自己責任の自由だ。これが非常に苦しい。

青森かどこかの農村に生まれて、家の近くの公立高校に何も考えずに進学し、卒業後は家業のりんご農家になる。何年かしたら、気立てのよい奥さんをもらい、二人で生きていく。僕の好みは安産タイプの女子なので、4人くらいの子供に恵まれながら、産後は体型が戻らず肥ってしまいながらも人当たりの良い奥さんとわいわいがやがや、笑顔の絶えない家庭で暮らしたい。「田舎なんて嫌だ!」と出ていく娘も無言で見送りつつ(都市には自由と苦労があることを僕は知っているのだ)田舎から都会で頑張る娘を応援したい。

あるいは、観光地のお土産屋さんの長男として生まれ、地元の公立高校を出たあとは、毎日、名物のおやきでも焼きながら観光客を相手におしゃべりをする。優しい奥さんを町内からもらい、幸せに暮らしたい。閑散期や農閑期には、家にこもってトルストイの超・長編小説でも読みながら暮らすのだ。そこには都市的な幸せの形はないものの、どう考えても幸せな毎日が送れそうだ。自分の両親や祖父母が作ってきた流れに従って生きていけばよいのだから、外から見るよりも農村的閉鎖空間も悪いものではないような気もする。

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ここまで、デュルケムの『社会分業論』の有機的連帯・機械的連帯の理論に沿って書いてきた。農村から出てきて「都市の自由」に不安になるのは19世紀・工業化の時代の人々だけではない。

「小さい頃、自分は兵隊になるとしか思っていなかった。いざ何にでもなれると思うと急に不安になる。将来が見えない。自分の行き先が誰かに決められている社会は絶対に不幸だとわかっているのだけれども」

黒柳徹子『窓際のトットちゃん』の続編とも言うべき映画「トットチャンネル」で、戦後すぐの若者が話していた。世界各地で通時的に起きている、都市に普遍的な問題なのだ。自由の重圧は、時として深刻な事態をも引き起こす。

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戦後の社会学の大きなテーマのひとつは「どうして近代は二度の大戦と、ファシズムを生み出したのか」であろう。ハンガリー生まれのユダヤ人でドイツの社会学カール・マンハイムは「甲羅のない蟹」というモチーフで、自由な都市に出てきた人々は、「絆」を失い、さながら甲羅のない蟹のように精神的に弱い存在になると分析する。このように、人々が「集団の絆」を喪失している状況を、ナチスは同調性を勝ち取るための戦略で狡猾にも利用した。

(何の取り柄もない人でも、どんなバカでも、ナショナリティの下に集まることができる!特権性を身につけられる!)

不況で都市の生活が不安定になると、都市生活者の持つ自由が大きな負担となる。拠り所となるべき、人々の「心のつながり」も都市にはない。都市生活は戦後「モーレツ社員」と「イケイケドンドン」くらいまでは素晴らしいものだったが、今では危ういものだろう。戦後日本の価値観から脱するべき転換期はリアリティを帯びなければならない。だからこそ、機械的連帯の農村社会に甘い幻想を抱きたくなる。