Maekazuの社会学

社会学を学ぶ大学生が、その時々思ったこと自由にを書きます。

自己批判

 これまでのエントリーの反省をします。マックス・ウェーバーは、社会学の研究において、「事実と存在」と「規範や道徳(価値観)」を分けて考えるべきだと考えました。つまり「~である」と「~であるべき」とを分けて研究をしなければならないということです。

 「学問の世界は、ジャーナリズム同様に困っている人の声を代弁するような研究をするべきだ」というのは僕の信念であり目標です。しかし、問題意識を持って研究していると、ついつい事実と価値観を混同してしまいがちです。たとえば、「日本社会には100,000人のムスリムが暮らしている」「しかし、日本人は宗教に対して寛容で無頓着であり、それは時として無神経にもつながるから、ムスリムについてもっとよく知るべきだ」は同じ文脈で発言してはならんのです。論文指導でかなりの頻度で指導教官から突っ込まれる点らしいので注意しましょう。

そういう点から、僕のこれまでのエントリーはあまり科学的とは言えないのではないでしょうか。

 

 フンボルトが掲げた教養の理念には、過去の知を批判的視座から再検証し、つねに知の更新を目指すことで培われる「自己批判能力」がありました(ほんとうは出典を示したいところだ)。学部・修士くらいまでは、積極的にいろいろな知識を蓄えて、知の基盤を築いていくためにも、まずは、事実と価値観とを分けて、過去の知に敬意を持ちつつ、ぶつかり合っていければ理想です。